神宮を語る際に、森を切り離して考えることはできない。
ある意味、森も神宮の一部で神宮そのものとして考えるべきものだと感じている。
神宮の森は二つの役割を担っている。
一つは水の循環システムである。雨が森に降りそそぐと、その滴が集まって川になる。いくつもの水流はやがて大きな河となり母なる海へと帰っていく。海の水はやがて蒸発し、大気中で雲となり、再び森に恵みの雨をもたらす。
もう一つは空気の循環システムであることだ。この森全体が、二酸化炭素を吸収し、酸素を吐き出し、私たちに無条件に酸素を与えてくれている。
水の循環システムによって私たちの衣・食・住は支えられ、空気の循環システムによって私たちの命は生かされている――太古の人々は、このことに気づき、森の存在に深い感謝を捧げたのだろう。この感謝が形になったものが神宮という存在なのではないかと思っている。
現代に生きる私たちは、このことを当たり前と思ってしまって、なかなかその奇跡に気づかずに日々を過ごしている。是非、神宮に参拝し、自然の恵みに感謝してありがたく頂くという日本人のアイデンティティを思い出して欲しいと思う。