伊勢御遷宮委員会
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伊勢の民俗行事
「初穂曳」

神宮式年遷宮に伴う伊勢の民俗行事「お木曳行事」「お白石持行事」の伝統を継承し、次世代に伝えることを大きな目的として昭和47年からはじまり、神宮の神嘗祭をお祝いし、その年に収穫されたお初穂を神宮へ奉納します。
10月15日、外宮領陸曳おかびき
10月16日、内宮領川曳かわびき
ともに昭和、平成、令和、と三つの御代にわたり、継続されています。

見どころ
伝統的な様式ガイド

陸曳

例年10月15日に行う外宮領初穂曳(陸曳)の運営実務は伊勢神宮奉仕会青年部が担っています。神宮の所有管理する奉曳車ほうえいしゃは3台、たわわに稔ったお初穂が飾られます。そして、伊勢の子どもたち、伊勢市民(町衆)、県内外の特別神領民などが曳手ひきてとなりはっぴ姿で参加、外宮北御門へと運行します。
奉曳する台数は、毎年の参加者数に合わせており、令和5年(第52回)は奉曳車2台(大・小)で運行しました。

三台の「太一」奉曳車

お木曳行事・お白石持行事の技術継承のために、初穂とともに「お木」「樽」「俵」と 3台の奉曳車にはそれぞれの荷積みを行っています。

奉曳車の伝統的な技術を伝える

初穂曳に使用する車は、町の奉曳車ではなく、神宮が所有管理する専用の奉曳車です。
昭和41年、42年のお木曳行事よりはじまった一日神領民の奉曳を、本部の車を活用して実施できるように「伊勢神宮御遷宮用材本部」の申し合わせとして決定し、最初の奉曳車を製作。これが現在の「小」の車です。その後、第61回神宮式年遷宮の諸行事が近づいた時期に、神宮工作場に奉曳車の技術伝承をしていただく意味もあり、神宮の車として昭和60年に製作したのが「大」の車。これは、伊勢市内に約60台ある奉曳車の中で現在でも最大の奉曳車です。
3台目の「中」の車は昭和63年に新造されました。

平成25年の第62回神宮式年遷宮の年に開催されたお白石持行事後の初穂曳からは、新たな取り組みとして、3台の車それぞれにお木曳行事・お白石持行事の荷締め技術伝承のために、「大」の車にはお白石持行事に用いられる「樽」を荷積みし、初穂を飾って仕上げました。「中」には初穂曳の「米俵」を、そして「小」の車には神宮の御用材を荷積みし、初穂曳準備のときに伊勢神宮奉仕会青年部が荷積み、荷締めを練習し、経験を積んでいます。

奉曳車
太一

太一の意味

奉曳車の車輪、また絵符(えふ=奉曳車上に立てられている木札)には神宮の印として「太一」の文字が書かれています。江戸時代初期からは「太一」が、明治22年から平成5年第61回神宮式年遷宮の期間のみ「大一」と印されていました。どちらも同じ意味として「世界万物の根源、中心と言えるもっとも尊いもの」ということで、天照大御神を祀る神宮の御料などの印に用いられるようになったとされています。

川曳

初穂船での奉曳

例年10月16日、内宮領初穂曳(川曳)は、初穂船に初穂を飾り、曳手は川へ入り、浦田橋下流から宇治橋まで、清流五十鈴川をさかのぼります。五十鈴川に法螺貝ほらがいの音色と木遣り唄が響き渡り、はっぴ姿の曳手が二本の綱を寄せ合って練りはじめると、川曳特有の水合戦が始まります。

川曳は、伝統的に川曳を行う5つの地域の持ち回りで運営されています。
5つの奉献団が5年に一度、交代で担い、ほかの4年間は曳手として参加します。

お初穂を積んだ初穂船

  • 宇治二軒茶屋奉献団

    宇治二軒茶屋奉献団

  • 四郷奉献団

    四郷奉献団

  • 長峰連合奉献団

    長峰連合奉献団

  • 大湊奉献団

    大湊奉献団

  • 二見連合奉献団

    二見連合奉献団

10月15日、外宮領陸曳

奉納(外宮)

10月16日、内宮領川曳

奉納(内宮)

初穂曳の裏側

稲穂を育て新穀を奉納…田植え、稲刈り

平成2年伊勢神宮奉仕会青年部の活動の一環として、より収穫の感謝を実感するために田んぼをお借りし、田植え・稲刈りを行い、作ったお初穂を奉納するという稲作事業がはじまりました。初穂曳に参加する子どもたちにも参加してもらうことで、次世代育成につなげていこうという試みです。神嘗祭の意義を伝え、より収穫の感謝を実感できるのはもちろん、昔に比べ農業と生活が離れてしまった子どもたちに体験してもらっています。

  • 田植え(平成20年頃)

    田植え(平成20年頃)

  • 稲刈り(令和元年)

    稲刈り(令和元年)

稲束・俵づくり

9月下旬には刈りとった稲穂は乾き、稲束づくりが行われます。その作業は伊勢神宮奉仕会青年部だけではなく、市内各奉曳団の皆さんや様々な協力団体も参加して一緒に作業。それを含めての初穂曳参加ともいえます。
余分な藁を払い整え、おなじ長さ、太さになるように稲束を作る作業、美しく整える作業、同時に記念の品となる「御初穂」用の穂先のカット、そして包む作業なども進めます。それぞれ得手のいいところを分担しあって3~4時間かけて準備することで参加者は10月の本番が近づいてきたことを実感します。
作った稲束は、奉曳車の飾り付けに使うもの、外宮奉曳後に奉納してもらうもの、そして一部はカケチカラとして納めていただくものに分けます。

  • 俵づくり

    俵づくり

  • 稲束づくり

    稲束づくり

  • 稲束づくり

    稲束づくり

稲束づくり

外宮領陸曳 奉曳の役割分担

奉曳には数百名に及ぶ曳手の力は欠かせませんが、奉曳車の運行のための裏方となるスタッフその他、奉納、裏方として総務を担当する係など、特に人員が必要な特別神領民の車であれば、最大1台につき100人近い人員が必要です。そのため3台の車を出す際には総勢1500人以上の曳手が参加することとなり、裏方となるスタッフは、さまざまな役割を分担しながら、当日集まった全員でひとつの「団」を形成し、初穂の奉曳・奉納が成り立ちます。当日までの準備、前日の奉曳車回送などは、伊勢神宮奉仕会青年部が各担当のリーダーとして現場の中心となり行います。

  • 荷締め

    荷締め

  • 綱出し

    綱出し

  • 椀なりの調整などを行う車係

    椀なりの調整などを行う車係

  • 特別神領民 誘導・サポート

    特別神領民 誘導・サポート

  • 奉曳車まわりには進行係

    奉曳車まわりには進行係

  • 曳込みの綱巻

    曳込みの綱巻

特別神領民 「神宮崇敬者を民俗行事に迎えて」(外宮領陸曳)

一日神領民制度の経緯

初穂曳では、全国からの参加者を受け入れる「特別神領民」制度が恒例化していますが、これは初穂曳から始まったことではなく、昭和41年、第60回神宮式年遷宮のお木曳から「一日神領民」という名称で実施されるようになりました。 本来、民俗行事として地元の神領民のみで実施していましたが、戦後、御遷宮が全国からの奉賛金によって行われるようになったことから、神宮を崇敬し御遷宮を支えていただいている全国の方々へのお礼と、さらに伊勢へのご縁を深めていただくために、その後例年の初穂曳でも参加枠を設けるようになりました。
平成19年には、「一日神領民」を「特別神領民」と名称変更し、例年、多くの特別神領民の募集を実施し、今に至っています。令和2年より一般募集を中止しております。

  • 一日神領民制度
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